あの街への想い

元々「アンチラブライブ!」であったはずの自分が、何故「ラブライブ!サンシャイン!!」にここまでハマったのかということを考えると、その理由は以下の3点に帰結する。

1 「静岡県沼津市」と言う街を舞台にしていること
2 東海バス伊豆箱根バスと言う馴染みのある事業者が出ていること
3 話そのもののに惹かれたこと

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 今でこそ清水区内に住んではいるが、生まれは東京、そこか川越・富士・沼津・清水を経て一時期大阪に行ったものの再び清水に戻ると言う、ある意味流浪の転居生活を送ってきた。また、今の勤務先は静岡県内を営業エリアとしているだけに、当然ではあるものの沼津市内の顧客も存在している。

 今までの経歴の中で、沼津市内に住んでいたのは小学校4年生〜中学2年の1学期間。年数で言えば4年チョイと正直長くはない。だが、過ごしていたのは小学校卒業から中学生の頃と、行動範囲が広がる時期の事。まだ駅前には富士急も西武も丸井もあり、駅前のバスターミナルからは市内だけではなく、富士市内や富士宮、御殿場や元箱根だけではなく、高速道路を通って新静岡へと向かう便があった頃であった。
 また、自宅から自転車を走らせて行くことの出来た沼津港からは、三津や戸田行の「竜宮丸」、土肥や松崎へ向かう「こばるとあろー」と言った伊豆箱根鉄道の船舶部が運航する「西伊豆航路」だけではなく、戸田運送船(になるのか?)も井田や戸田へ航路を持っていた。
 そんな所で、千本公園で遊んだりとか、港の方に遊でいたりとかしていたので、今の第二小学校校区は今でも地図を見ないで平気であるくことができるし、「あの頃はああだったなぁ」と言う事を割合今でも覚えている。

 また、何だかんだで駅前の方にも行く機会はあった。
 今のスルガ銀行本店隣には「マルサン書店」の本店があったりとか、今のリバーサイドホテルがある辺りには模型屋さんがあったり、それこそゲーマーズの上には英会話教室があった・・・なんて割とどうでも良いことを覚えている。ただ、最近どなたかが上げた昭和62年頃の駅前通りの写真を見て、アーケードがキレイになっていないことを見て「あれ?どうだったっけか?」と言うように思ったこともある。
 
 その後、中学2年の夏に清水へ引っ越してから、2000年頃まではあの街との接点を失っていた。

 社会人になって転職をし、その時からあの街との接点を再び持つようになった。
 転職した先は静岡県内の企業が顧客先である会社。当然ではあるが、沼津市内の事業者も顧客である。ただ、全般的に見れば浜松方面の事業者が多いものの、それでも月に2-3回程度は東部地区へ行くと言う月も結構あった。

 そんな中で、修善寺町(現在の伊豆市)に営業車で上司と出張に行く機会があった。
 自分が一番下っ端であったので営業車の運転をしなくてはならない。

 清水インターから東名に入って沼津インターで出て・・・とするはずが、そのままバイパスを通り、東田子の浦駅辺りで千本街道、そこから沼津港・港大橋・八重坂・大平から韮山、大仁へと抜けるルートを走ったことがある。
 沼津港辺りを過ぎた辺りで「おいおい、どんなルート走ってるんだ?」と上司から言われたが「いや、沼津ICから国道走るのも面倒なもんで、伊豆に行く時はこんな経路ですよ。親父に教えて貰ったんですけどね」と返したことがある。その上司は東部地区出身だっただけに「あれ?もしかしたら東部の出か?」と話が盛り上がり、それ以来何故か東部地区の案件が回ってくる事が多くなった。

 時には静岡から電車で行く。
 駅に着いて正面を見ると閉店してしまった西武の建物が残っている。20年前、こうなることを一体誰が予想していたのだろうか・・・と思うとたしかに切ない部分が多くなったのは否めない。正直、住んでいるのは清水区内、沼津は基本的に関係ない街。極端なことを言えば「ふーん、あっそ」で終わってしまうかもしれない。
 だが、この建物には自分の記憶も残っているし、この建物から出てくる想い出もある。

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 根無し草のような人生、だけど、この街には「自分が住んでいた記憶がある」。
 だからこそ、今の会社に入ってからあの街の事がいつも頭の中で気になっていたのかもしれない。

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 乗り物の話も少し書きました。
 「ラブライブ!サンシャイン!!」そのものの話ではないとは言え、多分、この辺りの話を展開しないことには今の想いを遺すことは出来ませんので、もう少し書きます。

 多分次回は「バス」のお話。